時は江戸時代。

品川の漁民は、徳川家康から将軍家に毎日新鮮な魚を献上することを命じられ ました。そのため、漁民たちは不漁や悪天候によって献上できない日が無いように、 魚を生かしておく「生簀(いけす)」を考え出しました。
「粗朶(そだ)」と呼ばれる枝つきの木や笹つきの竹などを浅瀬に立て、ひび(柵囲い) を作り、そこで魚を確保していました。

そんなある日、魚を確保していた粗朶ひびにあるものが付着しているのが発見された のです。
それが「海苔」でした。
この発見がヒントとなり、海苔の養殖が始まりました。
記録では、「浅草の弥平という人物が、享保2年(1717年)に品川浦で行ったのが最初
である」
とされています。
この頃は、海苔は生のまま食べたり、簡単に乾燥したものでしたが、紙すきからヒントを
得て、板状の海苔を作る「抄製法」が開発され、現在の製造の原型が作られました。
このような海苔養殖は、最初徳川幕府の保護を受け、江戸漁民の独占漁業でしたが、
やがて地方にもその養殖方法が広がっていきました。

昭和になると、海苔ひびは「粗朶」から「網」に変わり、各地でさまざまな研究がなされ、
生産技術が向上したことで飛躍的に生産量が増え、現在では年間約100億枚が生産さ
れる大きな産業になりました。